儀同 哲夫

異分野とのコラボを生み出すパイオニア。

儀同漆器工房ぎどうしっきこうぼう 儀同 哲夫ぎどう てつお(塗り師)

縄文時代より日本に伝わる漆の技を伝えるべく、手塗り・本漆塗りにこだわりを持って製造しております。
生活の器から建築物、特注品、修理品まで、お客様のご要望にお応えします。
様々な分野の方とお会いし、新しい世界と繋がれることを楽しみにしております。

儀同さんのこと

「儀同漆器工房」を営む儀同哲夫さんは、平成19年度全国伝統工芸品公募展において最高賞である「内閣総理大臣賞」を受賞、さらにその他の工芸展でも数々の賞を受賞という輝かしい経歴を持つ会津漆器の顔とも言うべき塗り師さんです。
昭和23年、会津若松市生まれの儀同さんは、産地の盛衰と変革の真っ只中を生きてこられた方でもあります。
儀同さんは漆器の道に入った経緯をこう話します。「小学校の低学年の頃から家業を継ぐようにと言われてきて、家の仕事も手伝っていたから、特に抵抗を感じることもなくごく自然にこの道を継いだんです。」
祖父の代から数えて3代目となる儀同さん。小学生の頃から乾燥、袋詰め、箱詰めなど、子どもにもできる仕事を手伝っていました。
その頃は子供も家業の手伝いをするのが当たり前の時代で、手伝いが終わるまでは遊びに行けなかったそうです。
福島県立工業学校の漆工科を卒業後、儀同さんは正式に漆職人の道に入り、即戦力として働くようになりました。
学校の授業と父親の指導から必要な伝統技術と漆の心を学んだ儀同さんでしたが、ちょうどその頃、漆産業にひとつの大きな変化が起こります。
「昭和30年代くらいから、プラスチックの素材と、スプレーでの化学塗料の吹き付け技術が出てきたんです。そのおかげで安く、早く、大量に漆器風の器が作られるようになって、従来の木製漆器は時間がかかるうえに高価だと言われ、売れなくなってしまったんです。」
安価で大量に供給される塗り物は、物が不足していた戦後の時代に合っていたこともあって波に乗り、大量に作られました。儀同さんもプラスチック漆器の工場を見たことがあるそうですが、生産力の違いに圧倒されたと言います。
そんな量産型漆器全盛期の時代も、自分のスタイルを変えず手仕事を続けてきた儀同さん。儀同さんが考える、会津漆器とは?
「会津漆器の魅力は、先人たちの積み重ねによって作られてきた会津という地域の魅力と密接につながっているのではないかと思います。」
他の地域から来た人が「会津に来て良かった」と言ってくれるのを聞く度に、今も会津に息づく先人たちの積み重ねを強く感じるという儀同さん。会津漆器という、まさに先人たちの積 重ねから成り立ってきた伝統工芸に携わる者として、自分に何ができるのかを考えて様々なことに取り組んでいます。
「ある意味ではこれまで、先人たちの遺産とも言うべき伝統の力で食べさせてもらってきたんです。だから今度は私たちが、後の人のために頑張らないといけない。そうでないと、遺産の食い逃げになってしまいます。」
実際に儀同さんは、伝統工芸士会の会長をはじめ産地の様々な組織のリーダー役に選ばれることが多く、先頭に立って活動を推進してこられました。
若い頃から続けているテニスは今でも現役というスポーツマンで、曲がったことが大嫌いな儀同さん。一方で、座右の銘が「我以外、皆師なり」という言葉の通り、誰にでも分け隔てなく謙虚に接する方です。
そんな儀同さんの人柄を慕う方は多く、個性豊かな職人たちが集まる産地の中で「儀同さんが言うのなら」とみんなが一つにまとまる、お父さん役のような存在です。
産地を若い人にどうバトンタッチしていくか、それを常に考えてきた儀同さんは、これまで何人かの弟子をとり、若い人の育成にも力を注いでいます。
「若い人に対しても、“育てている”という感覚はないですよ。私のほうが少し先輩というだけです。お互いにないものに憧れたり共有したりという関係なので、そういう意味ではお互いがお互いを育てているんだなと思います。」そう話す儀同さんは、漆と「人」を愛する素敵な職人さんです。

儀同さんのこと 儀同さんのこと 儀同さんのこと 儀同さんのこと

儀同さんのしごと

儀同さんは、若い頃から産地の職人として様々な仕事をしてきましたが、近年は、異業種メーカー等との様々なコラボレーションを手がけています。
代表的なものは、大手時計メーカーCITIZEN(シチズン)の「カンパノラ」シリーズの漆仕上げ文字板。5回ほど漆を塗り重ねた後、種類の違う金粉を蒔き付ける儀同さんの繊細な技法により、この商品のテーマである「宙空の美」が見事に表現されています。
儀同さんは塗り師ですが、20代の前半から蒔絵の技法にも興味を持って、他所の先生のところにまで習いに行っていたそうです。「若い頃の苦労は買ってでもした方がいい。それが今 活きている」という言葉の通り、これまでの積み重ねてきた技術の多彩さによって仕上げられた作品です。
さて、会津の塗り方の特徴の一つが、塗り面を研がずに仕上げる「花塗り」という技法ですが、一方で、研いで艶を出す「呂色仕上げ」という技法も駆使します。固く仕上げた漆の塗膜を傷が完全になくなるまで研いでいくのは、とても根気のいる作業です。
その技が詰まった儀同さんの代表的な仕事の一つが、地元会津の磐梯町に平安時代初期から伝わる寺院「慧日寺(えにちじ)」です。平成19年、この慧日寺の金堂が復元されることになり、儀同さんは、仏像を安置する重要な台である「須彌壇(しゅみだん)」の製作を任されました。地元の廃校の体育館を借りて、弟子と共に、約10ヶ月をかけて完成させた大作です。
4枚合わせて横幅7m以上にもなる大きな板を全て研いでいくのは、大変な作業だったと言います。機械などを使わず、ほとんど全て人間の手のひらで研ぐことに拘ったのは、神仏に関わる仕事への心持ちの現れだったのかもしれません。
そして、やはり儀同さんの一番の代名詞となっているのが、平成19年度全国伝統工芸品公募展において最高賞である「内閣総理大臣賞」を受賞した重箱のブルーダイヤという異名を持つ色合いです。
これまで漆器は、黒や朱、溜色が主流でしたが、そこに「濃紺」という新しい輝きを世に発信しました。
この色、もともとは大手ファッションブランド、ブルックスブラザーズ社からの依頼で製作した器が発端でした。京都やニューヨークなどにある同社の直営店の特設コーナーで販売するための器を依頼されたそうですが、アメリカのメーカーからのオーダーは、なんと濃紺で塗って欲しいというもの。どうやら洋服の裏地をイメージした色だったそうです。
それから儀同さんは数ヶ月かけてお弟子さんと共に新しい色の開発に挑戦し、素晴らしい色を出すことに成功しました。
海外とのコラボレーションということでは、近年は、オランダ人アーティストとの漆の作品づくりなども手がけました。
還暦を過ぎてからも、青年のようなチャレンジ精神と好奇心を失わない儀同さん。
「目の前の仕事のことだけを見ていたら、“ただの塗装屋”になってしまう。もっと大きな視点で、今まで出逢ったことのない方と出会い、世界に挑戦するようなことをしていきたい。」と語ります。
儀同さんの工房は、新しいコラボレーションをお考えの企業やお店の方に是非、訪ねていただきたい場所です。

儀同さんのしごと 儀同さんのしごと 儀同さんのしごと 儀同さんのしごと

儀同漆器工房

所在地:会津若松市旭町1-18
訪問可能時間:9:00~17:00

工房でできること:

  • 企業コラボ
  • お買いもの
  • オーダーメイド
  • 漆器修理

紹介している工房は、お客様の受け入れを常時しているところばかりではありません。
そのため、各工房に直接連絡されることはお避けいただき、必ずこのページからお問い合わせ・お申し込みいただきますよう、お願い致します。

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