読み物『会津漆器の歴史・特徴』

「日本における漆産地の先駆け、会津」

会津漆器は、古より、城下町・会津の地で育まれてきた伝統工芸品です。

日本における漆の産地としては非常に長い歴史を持っています。

起こりは、室町時代、源頼朝の信頼が厚かった葦名(あしな)氏が、会津を治めたときに、 漆の木の植樹を奨励したことが始まりです。

産業として根付いたのは、400年前の安土桃山時代のこと。

豊臣秀吉の命で会津領主となった蒲生氏郷(がもう・うじさと)公が、近江の国(今の滋賀県)の日野から職人を連れて会津入りしました。

氏郷公は、利休七哲(千利休の高弟)の筆頭に数えられる文化人であり、 産業の発展のため会津漆器の基礎をつくり上げました。

それ以来、会津漆器は、この雪深い城下町の会津に地場産業として根付き、 技術革新を重ねながら日本有数の一大漆器産地となりました。

一時期はアメリカ・中国・オランダにも輸出していたほど、会津塗の技術と美しさは際立っていました。

「ぬくもりと使い込む楽しさ」

会津漆器の良さは何と言っても、食に寄り添った使いやすさ。

会津漆器は、近世から現代まで、時代の推移と共に、武家文化の漆器づくりから次第に日用品としての器づくりに変化をとげてきた産地ですので、今でも高級なものから手に取りやすいものまで対応できる幅広い漆器づくりが行われているのが特徴です。

漆器の素地となる「木地(きじ)」は、山深い南会津で取られる栃(トチ)や欅(ケヤキ)、栓(セン)、科(シナ)などが多く使われています。
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漆塗りは、「花塗り」という技法が特徴です。

花塗りとは、漆塗りの最後の工程である上塗りをした後、研がずに塗り立てのまま硬化させて仕上げる技法で、やわらかくあたたかみのある風合いに仕上がります。器を覗き込んだ時に、光が映り込んだ部分が、ふわっとおぼろ月のように見えます。
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一方、会津では「変わり塗り(金虫食い)」と呼ばれる技法も発展してきました。

様々な色の漆を塗り重ねた後、研ぎ出して複雑な模様を浮かび上がらせます。一説では、刀の鞘塗りから始まった技法とも言われます。
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会津の蒔絵は、消金地、会津絵、朱磨きなどが有名です。

「消金地(けしきんじ)」は、もともと量産型の産地だったため、金粉の目をさらに細かくして節約しながら蒔く技法で、落ち着いた金の光り方になります。
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「会津絵(あいづえ)」は、色漆を使って松竹梅と破魔矢を組み合わせた会津独特の文様で、城下町の歴史を感じさせるような雰囲気を持っています。
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「朱磨き(しゅみがみ)」はその名の通り、黒い器体に漆で絵を描き、朱の色粉を蒔いて磨くことで文様を出す技法で、菊と桐の大胆な構図が特徴的です。
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「鉄錆塗り(てつさびぬり)」は、下地に用いられる錆漆(生漆と砥粉を混合したもの)を器物全面に施して仕上げたものです。外側は、まるで鋳物のような重厚な雰囲気になりますが、蓋を開けた内側は朱の綺麗な漆塗りになっているため、そのコントラストも楽しむことが出来ます。鉄錆で描いた絵柄は、伝統的に梅とウグイスの模様です。ワンポイントで施された螺鈿と縁の金がアクセントになります。
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これに限らず、現在は、作り手それぞれにカワイイものからモダンなものまで独自の作風を持っており、お気に入りの職人さんを見つけるのも楽しみ方のひとつです。
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現在、会津漆器の産業としての売り上げは約20億円弱。生産額ベースで全国でも上位5本の指に入る産地です。

後継者育成の取り組みとしては、地元の会津短大に漆専攻コースがある他、漆器協同組合が会津若松市や福島県の支援を受け運営する「会津漆器技術後継者訓練校」があり、毎年4名の生徒が、2年間塗り・蒔絵に専攻を分かれて学んでいます。近年は女性の生徒割合が非常に多く、将来の活躍に期待されています。

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